今日見た夢の話

はてな夢日記を書いている人たちをとても羨ましく思うんですよね。ぼくは普段全くと言っていいほど夢をみないから。いや、見ないんじゃなくて覚えていないのか。たまに断片だけを覚えていることはあるのだけどほんとに微かな断片で、誰が出てきたか、舞台はどこだったかと言った基本的な設定くらいしかわからないのです。細かいディテールなんてまったく覚えていないのですよ。はっきりとストーリーだてて夢を覚えていたいものだなと思っているんですけどね。
それでも今日は久しぶりに夢を見ました。とは言えいつも通りにストーリーはほとんど覚えていないのだけど。その夢には死んだ母方の祖父が出てきました。
うちの実家は商売をしているので小さい時からおじいちゃんの家にあずけられることが多かった事とぼくが初孫で可愛がられたと言う事もあって、ぼくは大変なおじいちゃん子でした。
いろいろな所につれていってもらったしぼくはおじいちゃんが大好きでした。
そんなおじいちゃんがガンに冒されていることが分かったのは平成10年の夏ごろでした。日に日に痩せ細っていく体、それでもぼくがお見舞いに行くと笑顔を見せてくれました。大学生で親戚内で一番暇があったぼくはおじいちゃんの検査の付き添いに付いていく機会も多かったのですが、その度にごめんなと言っておこずかいを渡そうとしたりしました。それでもおじいちゃんはどんどんと弱っていきます。ぼくはできる限り病院に見舞へ行くようにしていました。ぼくが顔を見せる事で少しでも元気付いてくれればと思い。
しかし秋冬を越えて春が来る頃には意識がなくなるようになってしまいました。呼びかけても手を握っても反応しなくなってしまいました。それでもその握った手はまだ温かかった。呼びかけには反応してくれないけれどおじいちゃんは確実にここで生きている。きっと声は聞こえている。そう思わないと悲しくておじいちゃんの姿を見ていられなかった。
状態が急変したのは4月4日の夜でした。バイト中に親から電話があり、もうかなりやばい。病院へ行くからすぐに帰ってこいとのことでした。バイトを早退して家へ着くと母親と妹はもうすでに病院へ行っていてぼくは店の片づけを終えた父親と2人で病院へ向かいました。
病室に着くと母親や叔父さんや叔母さんや病室内にいる人が全員泣いていました。それまでおじいちゃんの顔や体にいろいろとつけられていた機器類は全て取り外されていました。ぼく達が着く5分ほど前に亡くなっていたのです。
それからお葬式が終るまでの数日間、何も考える事ができませんでした。そして不思議と泣く事ができませんでした。おじいちゃんの死を聞かされたときも、少しずつ冷たくなっていってしまうおじいちゃんの手に触れたときも、もう二度とおじいちゃんに会えない事に気付いてしまっても、お通夜の時もお葬式の時も、おじいちゃんが骨だけになってしまった時も、周りではみんな泣いているのに、ぼくは泣く事ができませんでした。そこにはぼくはいないという感覚。その場面を遠くから眺めている感覚。そんな事を感じてしまって。ぼくはいまだにおじいちゃんのことで泣く事ができません。
でも、今日夢の中でぼくは泣いていました。
ストーリーは全然分かりません。どんな夢だったのか分かりません。覚えているのは、おじいちゃんが出てきたことと僕が泣いていた事だけ。でもなんだかイヤな夢だった気はしません。きっと良い夢だったんだ。朝起きてそう思って少しだけ泣きそうになりました。