解き放て いのちで笑え

昨日、見事な満月を見て、べたとは言え「満月の夕」が聴きたくなり久しぶりにSoul Flower UnionのELECTRO AGYL-BOPを引っ張り出してきて聴いてました。このアルバム傑作だと思うんですよ。とても素晴らしいアルバムでただただカッコイイんですよ。ただね、ほとんど聴く事はないのです。あまりにも濃くあまりにもパワーに溢れたこのアルバムは何かをしながら片手間に聴くことができないアルバムなんですね。聴くのに体力や集中力を要するのです。だからぼくはBGMとして流しておくこともしないし車で聴くこともなく、聴きたいと思った時に音に集中して聴くアルバムとしてCDラックの中で確固たる地位を築いているのです。
キラーチューン満載なアルバムの中でそれでもやはりキラリと光る超名曲「満月の夕」。この曲を聴くたびに感じるのは魂花の強さと優しさ。
ぼくは2000年のフジロックでこの曲を聴いて泣きました。クロージングバンドとしてPrimal Screamの後に登場した魂花。ガラガラだったモッシュピットがだんだん埋まっていく中鳴らされた「満月の夕」。あまりにも幸せな記憶。ぼくはあのライブのことは死ぬまで忘れません。強さと優しさ、怒りと笑い、悲しみと喜び、抵抗と祝祭それらを1曲の中で共に鳴らせるバンドは日本ではSoul Flower Unionだけだと思うのです。

そして

満月の夕を語る上で忘れてはいけないのが震災被害です。阪神大震災の鎮魂歌としての満月の夕。震災にあった人たちを励まそうと作られた曲なのです。満月の夕を聴いてやはり新潟県中越地震を思い出さないわけにはいきませんでした。
ぼくは今までここに地震に関してのことは何も書いてきませんでした。それはぼくがここでそれについて書いてそれでどうなるんだ。意味なんてないじゃないかという思いがあったからです。でもある掲示板に書きこまれていた文章がぼくのそんな陳腐な考えをすっ飛ばしたのです。「お金や物資の援助は確かにありがたいが、ネットでの賑やかし、励ましも元気を出す為の支援にはなるものです。それも一種の支援だと思います」というような主旨の被災された方からの書きこみでした。これ読んだときは力が抜けました。ぼくはなにを分かった気になっていたんだろうと。
今回の震災で亡くなられた方の御冥福を心からお祈りいたします。
そして、被災者の皆様が一刻も早く日常生活を取り戻されますように。