Polaris @ 名古屋クラブクアトロ

ライブ時間のうちのほとんどの時間ぼくはただひたすら目を閉じてベースラインだけを追いかけていた。そしてベースの音を聴きながらほっとしたり、にやついたり、涙ぐんだり、興奮したりしていた。柏原譲の奏でるベースの音の本質的な部分はフィッシュマンズ時代のそれとまったくといっていいほど変わりがなかった。その本質とはずばり優しさだ。ぼくはこんなに優しくベースを鳴らすベーシストを他に知らない。ぼくはこんなに包容力の溢れるベースを奏でるベーシストを他に知らない。
フィッシュマンズのヴォーカルだった佐藤伸治のヴォーカルスタイルはよく浮遊感と言うキーワードで語られた。しかしこだま和文はそれを浮遊感ではなく乖離感ではなかったかと言った。まさにその通りだと思う。浮遊感溢れるヴォーカルではあったけれどもそれだけではなく、浮かんだあとその場に止まらずふわりふわりとこの場からどんどん離れて行ってしまうのではないかという危うさもあった。その声をステージと繋いでいたのが茂木欣一のリズムであって、そして柏原譲のベースがその声を優しく包んだりそっと支えていたのではないだろうか。それが後期フィッシュマンズの姿ではなかったか。ぼくが唯一体験したフィッシュマンズのライブの時にそんなことを感じた。それほどに柏原のベースは優しく響いたのだ。
そして今日のライブでもそれはまたく変わっていなかったのだ。柏原の奏でるベースの音は優しく全ての音を支えている様に感じた。それがとても嬉しくてほっとしたり、にやついたり、涙ぐんだり、興奮したりしたのだ。
ポラリスのライブの感想なのにフィッシュマンズのことばかりになってしまったよ。でもまぁそれもしょうがないと思ってください。なんせぼくポラリスのライブ観るの初めてだったのだから。つまりフィッシュマンズ解散以来初めて柏原譲のベースプレイを生で観たのだから。いろいろ思い出すってもんです。センチメンタル過剰だなっつって笑ってください。自分でもそう思ってますから。